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財団法人たんぽぽの家スタッフ 岡部太郎さん インタビュー

“アートによる自己実現は、幸福への道”財団法人たんぽぽの家 スタッフ 岡部太郎さん インタビュー

鑑賞する人に、“驚きと感動”を与えてくれる障がい者アートは、今や芸術の一ジャンルとして確立されています。障がい者アートを「エイブル・アート」と銘打って、市民芸術運動というムーブメントにしたのが奈良県の「たんぽぽの家」。障がい者アートを社会に浸透させた草分け的存在のひとつです。今回は、「たんぽぽの家」で「エイブル・アート・ムーブメント」を推進しているスタッフである岡部太郎さんに、ムーブメントに込められた思いや将来の方向性などをお伺いしました。

ネットワークを駆使して、さまざまな最新情報を発信&収集する岡部さん。

文化・アートなど「表現」を通して、社会を豊かにしていきたい。

編集部:たんぽぽの家は、どのようにして生まれたのでしょうか?
岡部:始まりは1973年のことです。奈良県の障がいのある子どもを持つ親御さんたちが、子どもたちが養護学校を卒業した後にも生きがいを持って生活できる、地域に開かれた自立のための場所を作ろうと運動をはじめたのが「たんぽぽの家」が生まれるきっかけとなりました。
1980年に「たんぽぽの家」が完成し、理事長に元新聞記者の播磨靖夫氏が就任しました。以来、障がいのある人たちの生きる場づくりから、さらには、個を支えあう新しいコミュニティづくりを求めて、自分らしく生きたいという個人の願いを“共感”という方法でとらえる市民運動を推進しています。その根底にあるのは、“みんなが同じ生を受け、みんなに違う生き方がある”という考えです。

開放的なアトリエから、自由闊達な作品が生まれます。

編集部:たんぽぽの家から発信されている「エイブル・アート・ムーブメント」とはどんな運動ですか?
岡部:「エイブル・アート・ムーブメント」は、障がいのある人たちのエネルギーに満ちた表現活動を、人間性を回復させる新しいアートとしてとらえ、そこにさまざまな可能性を見いだそうとする新しい市民芸術運動です。阪神淡路大震災やオウムのサリン事件などが起こり、みんなに広がっている不安を打ち破るような文化活動をしなければ、という機運が高まっていた1995年にスタートしました。「エイブル=可能性」というキーワードには、“障がいのある人の「できないところ」ではなく、「可能性」に注目しよう”という想いが込められています。
それまでの障がい者アートは、“福祉のためのアート”として捉えられることが多く、「障がいのある人ががんばって描いたのだから見てください」「がんばっているから素晴らしい」というメッセージが発信されていました。展覧会のタイトルも「福祉美術展」などといったものがほとんどだったと聞いています。そこには“アート作品”というよりも“障がいのある人が作ったもの”という観点がありました。それに対して、「エイブル・アート・ムーブメント」は、“作品そのものの価値”に重きをおいて、その価値をしっかり伝えようと考えています。
編集部:これまでの「エイブル・アート・ムーブメント」の活動で達成できたことは、どんなことですか?
岡部:まず、障がい者アートを福祉関係者だけでなく、美術関係の人たちにも評価してもらえるようになったことです。1997年に、東京都美術館という公立の美術館で展覧会を開いたのをスタートに、地道に展覧会を開いてきた成果だと思います。
もうひとつは、ネットワークが作れたこと。1950年代からすでに福祉施設での表現活動は全国で盛んに行われていました。ただ、それは点での活動で、なかなかつながることはありませんでした。そんな中、「エイブル・アート・ムーブメント」を立ち上げることにより、少しずつですが、点の活動がつながっていき、いつしか大きなネットワークが生まれたのです。この2点が、ムーブメントの成果といえるのではないか、と考えています。

環境づくりも「エイブル・アート・ムーブメント」の大切な役割。

編集部:展覧会の開催のほかに「エイブル・アート・ムーブメント」では、どんなことをしていますか?
岡部:私たちは、ムーブメントを「表現だけでなく、表現の土壌づくりから発表まで」の1セットで捉えています。たとえば、土壌づくりに関する活動では、公募展の支援を行っています。電力会社主催の公募展はもう12年続いていますが、これまで世に出ていない人が評価される場づくりができたと考えています。また、年に一度、“福祉をかえる「アート化」セミナー”というイベントを開催しています。これは、“アートは人間を幸福にする”という理念のもと、表現の道具や作品の保管、著作権の問題など、福祉施設でのアート活動の実際を討論するもので、全国から毎回100~150人が2日間参加し、それぞれの地元に経験や情報を持ち帰り、活動に活かしています。また、このセミナーで出会った人たちが、共同で展覧会を開くなど、新しいネットワークも生まれています。私たちは、“たんぽぽの家は、情報やネットワークのハブでありたい”と考えていますが、確実にその役割を果たせているように思っています。
編集部:「エイブルアート・カンパニー」という活動があると聞きましたが……。
岡部:これは、“障がいのある人のつくったアートを、デザインを通して社会に発信していく”という活動。つまり、障がいのあるアーティストと商品開発する人とを中間支援するシステムです。その目的は、障がいのある人の仕事づくりです。この活動に参加することで、障がい者の方々に少しでも収入を増やしていただいて、安定した生活を送ってもらえたら、と考えています。現在、73人のアーティストが約6,800点の作品を登録しています。18歳以上の障がいのある人が対象で、毎年、プロのデザイナーやショップバイヤーなどが“商品化できるか”を基準に応募作品を審査して、7名から8名ほどの新規登録者を選考しています。
編集部:作品の評判はいかがですか?
岡部:ストーリーのある商品開発ができる、と喜んでいただいています。ある無添加化粧品メーカーでは、継続的に通信のビジュアルイメージに使っていただいています。また、作品を活用したソックスやパンツなどは、百貨店などでも特集コーナーができるほど人気を得ています。人気の出た背景には、作品が、イラスト的なものから絵画風、パターン、模様などバラエティに富んでいるから、ということがあります。「エイブルアート・カンパニー」は、ビジネスモデルづくりのひとつではありますが、、あくまでも障がいのある人たちに“なんらかの収入を得る機会をつくる”という生活支援のひとつとして捉え、活動していきたいと考えています。
たんぽぽの家で生まれる、作家の個性が光る作品たち。

宣伝広報担当は、たんぽぽの家の“となりのお兄ちゃん”的存在。

編集部:ところで、岡部さんはどんなきっかけでたんぽぽの家に関わられたのですか?
岡部:私は、もともと群馬県出身で、高校時代から商店街の中でアートプロジェクトを展開するコミュニティアートの活動にボランティアとして携わっていました。そのころ、活動の代表だった人が営んでいたアートセンターで、ヘンリー・ダーガーというアーティストの作品集を見て、闇から一撃を受けたようなショックを感じました。後から、この作家が障がいのある人だと知って、以来、障がい者アートに興味を持つようになったのです。大学は美大のグラフィックデザイン学科に進んだのですが、コミュニティアート活動は続けていました。大学2年生だった1999年、前橋市役所で、たんぽぽの家の作家さんを招いて「Group文字屋」展を開催することになり、そこで、はじめて障がいのある作家さんと直接話をする機会を得ました。話はあまりできませんでしたが、作品を作るときの筆さばきなど、表現の精度の高さに驚かされ、同時に“この人は毎日どんなふうに暮らしているんだろう”という興味が湧いてきました。そうこうしているうちに、イベントに来たたんぽぽの家のスタッフの方から“たんぽぽの家に来ないか”と誘っていただき、大学を休学して、1年間インターンとして活動させてもらいました。
編集部:インターンをして、どんな体験ができましたか?
岡部:たんぽぽの家に入っても、あまり福祉活動をしているという意識はありませんでした。素晴らしいアート作品を作り出すおもしろい人たちがいる場所に来た、という感覚の方が強かったですね。描くために削っているのか、削るために描いているのかわからないくらい鉛筆の削りカスを大切に残していたり、1日4回欠かさずラジオ体操をしていたり……。それらのこだわりの中に、“人間の生きざま”みたいなものを感じました。そして、いつしか、“自分はいったいどうなんだ”と自分を振り返ってみるようになっていました。障がいのある人たちを“かわいそうな人たち”とステレオタイプな考えで捉えていなかったか?日常生活の中での福祉とは何なのかを考えていただろうか?さまざまな思いが頭の中を巡るうち、 “存在そのものが表現と言えるのではないか”と思うようになりました。
1年のインターンの後、復学して卒業し、再び、たんぽぽの家の敷居をまたぎました。大学の先生や先輩からは、“福祉は、社会に出て一人前になってからボランティアですればいい。せっかく大学でデザインを学んだのに、そんなところへ行っても役に立たないよ”と言われていました。でも、私は、“今の時点で関わることによって、そのときしか得られない経験があるはずだ”と考え、たんぽぽの家に行くことを決心しました。
今でもそうですが、私は、“自分の興味のないものに興味がある”というヘンなところがあります。最も興味のない福祉の世界に飛び込んだのは、そんな性向によるところもあります。そして、飛び込む決心したもうひとつの理由が、“一般的に人々がイメージする「福祉」という概念をデザインすることができないか”と思ったことです。それは、たとえば、障がいのある人と出会ったときに、「何かしてあげなければいけない」とステレオタイプな対応をするのではなく、表現者(アーティスト)として、「いっしょに何かをつくる」とか。これに関しては、少しずつ具現化できているような気がしています。
障がい者アートの書籍やDVDなどの資料が並ぶ、たんぽぽの家のオフィス
編集部:現在は、たんぽぽの家で、どんな役割をされているのですか。
岡部:「エイブル・アート・ムーブメント」の事務局を担当しています。具体的には、助成金をいただいて開催する展覧会のプロデュースや企画、ワークショップやセミナーの調整などをしています。また、大学や企業を訪問して、「エイブル・アート・ムーブメント」のプレゼンテーションをしたりしています。
外に出かけて、情報を集め、情報を伝え、人と人をつなぐとともに、内に戻って、集めた情報をフィードバックするという、いわば広報宣伝活動をしているわけです。これは、インターン時代から担っていた役割ですね。
今でもそうですが、私はたんぽぽの家では“となりのお兄ちゃん”的存在のようです。

本物を見つける力を持った人を育てていきたい。

あらゆる人に「エイブル=可能性」を感じてほしい。

編集部:これから、たんぽぽの家はどんな方向に進んでいくのでしょう?
岡部:「エイブル=可能性」というキーワードは、障がいのあるないに関わらず、あらゆる人に当てはまる、と考えています。私は、“障がいは、人と人の関係性の中に生まれるもの”と捉えています。たんぽぽの家の活動、特に「エイブル・アート・ムーブメント」では、スタートは障がいのある人のアートですが、いつか、あらゆる人を対象にできたら、と壮大に考えています。
その理想へ近づくためのプロセスのひとつとして、『世間遺産』というワークショップを子どもたち対象に実施しています。子どもたちにデジカメを渡し、自分がいつも過ごしている場所を撮ってきてもらい、その写真の中から1枚だけを「世間遺産」として選んでもらうのです。これらの体験を通じ、子どもたちが写真の魅力に出会い、また写真を通して町や人と出会うきっかけとなればと思います。また、子供たちだけでなく高齢者の方にも「表現する喜び」を感じてもらう活動を広げています。
編集部:アール・ブリュット(※)などのアート活動との関わりはどうなるでしょう?
岡部:アール・ブリュットやアウトサイダー・アート(※)はおもに美術のジャンルや市場のことを指すと思うのですが、「エイブル・アート・ムーブメント」は、市民が主体となった「芸術運動」です。人々が生活のなかで出会うものごとにたいして、自然と「これいいね」とか「これはイマイチ」と感じる、「見る力」を育てることが目的だと思います。だれかの評価に委ねて作品を見るのではなく、自分の価値観で作品を見る能力を育むということを大切にしているのです。
これからも、この思いを大切にして、“心を育てる”ような活動を続けていきたいと考えています。そして、自らの価値観を変え、障がいのある人の存在感や社会的立場を高めていけたらいいな、と思っている今日この頃です。

※「アール・ブリュット」「アウトサイダー・アート」についてはこちらをご覧ください。
 言葉の豆知識-アール・ブリュット-

-編集後記-

たんぽぽの家の理事長である播磨靖夫氏は、宮澤賢治の『農民芸術論』をもとに、芸術を「個人または集団の、その取り巻く日常的状況をより深く美しいものに変革する行為である」と定義し直しました。つまり、「表現」とは、目の前にあるものを、より深く美しいものに変革する行為なのです。たんぽぽの家の活動は、この考えを確実に具現化している、ということを岡部さんのお話を伺いながら実感しました。
「たんぽぽって、やさしくて、ふわぁとしたイメージがあるでしょ。でも、実際にしていることは尖がっていたいんですね」と笑う岡部さんには、いたずらっ子のようなまぶしさが感じられました。また、たんぽぽの家にまっしぐらに進んできた姿には、一度、決めたらガンとして曲げない、という意志の強さが感じられました。岡部さんの歩みとともに「エイブル・アート・ムーブメント」は、いつしか、大河のようなたゆたう流れになるに違いない、と思いました。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」宮澤賢治の言葉が、ふと頭の中をよぎりました。
岡部 太郎
-プロフィール-
岡部 太郎(おかべ たろう)
1979年、群馬県前橋市生まれ。多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業。
高校時代から、NPO法人・前橋芸術週間が主催するコミュニティアート活動に参加。
1999年に前橋市役所で開催された「Group文字屋」展をきっかけに、たんぽぽの家と出会い、2001年、大学3年生でインターンとして従事。1年後、復学し卒業。
2003年より「財団法人たんぽぽの家」のスタッフとなり、現在に至る。
趣味は読書。妻と二人暮らし。

たんぽぽの家
エイブルアート・カンパニー

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