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障がい福祉サービス作業所に務めるパン職人 松田規男さん インタビュー

“パンを育てることは、「希望」です”障がい福祉サービス作業所に務めるパン職人 松田規男さん インタビュー

雨の日、風の日、寒い日、暑い日、季節ごとに変化するものがあり、日々成長していく……パンも作業所のメンバーさんも同じと語るパン職人の松田規男さん。パンづくりを通してメンバーさんの成長を見るのが、なによりの喜びだそうです。“パンはつくるものではなく、育てるもの”という信念をお持ちの松田さんの真摯な日々の姿を教えていただきました。 “おいしい”という言葉がもらいたくてがんばっているという松田さんの熱い想いを感じてください。

パンにもメンバーさんにも“育てる”というスタンスで接しています。

好きだからといってうまくいかないジレンマ。

編集部:パン職人になるきっかけは何だったんですか。
松田:パン職人になろうと思ったのは、高校を卒業してある飲料メーカーに勤めていたときのことでした。将来に漠然とした不安があって、技術を学びたいと思っていたのです。そんなとき、友人のお父さんが当時人気のあったパンのチェーン店を紹介してくれたのです。そのチェーンは、さまざまな種類の冷凍生地を用意していて、生地を解凍して、自分なりに巻いたり、ひねったり、具材を包んだりすればいろんなパンを焼くことができるというシステムを導入していて、“短時間の修行でパン屋さんになれる”というのがキャッチフレーズでした。
そのチェーン店は、店ごとに導入している機械が違っていたり、それぞれ独自の方法でパンづくりをしていたので、一店一店の相違を学ぶことはとてもよい勉強になるのです。結局、ぼくは3店で12年間、修行させてもらいました。長い間、修行を続けられたのは、やはり“パン職人”という仕事が好きだったんでしょうね。

いったんは大好きなパン屋から離れました。

編集部:順風満帆でパン職人の道を進んでいかれたんですね。
松田:いや、そうでもないんですよ。12年間、一所懸命にパンを焼いていたんですが、だんだんと“水と小麦粉を練って、一から生地がつくりたい。本物の職人になりたい”という思いが強くなってきたんです。チェーン店では、ずっと既製の生地を使っていたので、パン職人の技術面ではキャリア不足を感じていたんです。30歳を過ぎたころ、浅香山(大阪府堺市)にあるパン屋に再就職しました。一から勉強させてください、と頼みこんで入れてもらったんです。その店で、パイ生地やデニッシュ生地、フランスパン生地など、本格的な生地づくりを学びました。
店に入って4年ほど経ったころ、オーナーが亡くなられ、いっしょに働いていた娘さんも店の経営を続けていくことを断念されました。そこで、ぼくが店を継がせてもらうことにしたんです。最初は、意気揚々と朝2時から夜の10時くらいまで、夫婦でがんばりました。やがて、あまりの忙しさに妻がからだを壊しそうな状態になってしまったんです。しかも、ちょうどそのころ、ぼくの娘たちが小学生から中学生になるころで、思春期の大切なときなのに父も母もいっしょにいてやることができませんでした。どんどん、家族の精神的な状況は悪くなっていきました。そして、バブル経済の崩壊、コンビニエンスストアの普及などが逆風になり、ついに経営も成り立たなくなって、パン屋を続けることを断念したんです。店を手放し、パン屋の道から離れることにしました。

福祉の道というライフワークに出会う。

編集部:パン屋を辞めてからは何をされたんですか。
松田:店を閉めてから数カ月間は、近所の東部市場の八百屋さんで野菜売りをしていました。繁昌している店だったので、重い荷物を毎日、何度も配達しなければなりませんでした。元々ヘルニアの持病があったのですが、からだを壊すことになってしまい、仕事を続けることができなくなりました。
“これからどうしよう”と悩んでいるときに、知人がある臨時職員募集の話を持ってきてくれたのです。それは、西成区の津守公園にプレハブの仮設住宅を設置し、ホームレスの人たちの自立支援をする事業があって、そこのスタッフを募集している、というものでした。いわゆる“西成仮設”と呼ばれるホームレス対策事業の臨時職員募集だったんです。ぼくにとってはまったく畑違いの仕事でした。ぼくは中学・高校のころは、とてもやんちゃな生徒だったので、今でも昔を知っている人たちは“松ちゃんが福祉の仕事をしているなんて!……”と驚かれるんですよ(笑)。

編集部:臨時職員になられて、どんな経験をされたのですか。
松田:事業は、ホームレスの人たちに、まずは、仮設住宅に移ってもらって、病院などに通いながら、からだを治してもらって、自立されるのを支援するというものでした。生活保護を受けてもらいつつ、就職先をあっせんし、住むところを見つけ、ときには、体調の悪い人を病院に送迎する。それらがぼくの仕事でした。
当時は、“西成に行くと一食は食べられる”という“うわさ”が広がっていて、阪神淡路大震災で家も職もなくした方々をはじめ、北は北海道から南は沖縄まで、全国から人が集まってきていました。中には薬物中毒やアルコール依存症、夜中に包丁を振り回す人などもいて、さまざまな“人の生きざま”に向き合いました。事業を通して、定職に就いて自立した生活が送れるようになった人がたくさんいらっしゃって、ほんとうにうれしかったのですが、中には再びホームレスの生活に戻ってしまわれる人もいらっしゃいました。元々、集団生活が嫌で、孤立してホームレスになるのですから、やはり自立するのは大変なのかもしれません。活動を通して、“福祉の仕事は難しい” ということも実感しました。
この仕事は3年契約でした。契約期限が近づき、“次はどうしよう”と悩みながら、いくつか面接を受け、ある老人向けマンションの職員に就くことになりました。今度は老人福祉の道を選んだのです。でも、このころから“一度つぶしているので店を経営することはできないけれど、これまで培ってきたパン職人の技術を使って、なにか人の役に立つことはできないものか”という思いが強まってきたのです。

パン職人と福祉の道がひとつになる。

編集部:奇跡のような出会いがあったと伺っていますが。
松田:西成で臨時職員をしていたときのことでした。社会福祉主事の資格取得の研修会で、現在勤めている「はぁとらんど浅香」という障がい福祉サービス事業所の事務長になる予定の方と知り合いました。たちまち意気投合して、「はぁとらんど浅香」の構想など、さまざまな話をお伺いした中に“パン屋事業もしたい”というのがあって、“ぼくは昔、パン屋をやっていたんですよ!”なんて話したりしていました。
そんなことを覚えていただいていたのでしょうか、ぼくが老人福祉の仕事をはじめて3年ほどしたころ、この方から“よかったら、うちに来ないか”という連絡が入りました。“「はぁとらんど浅香」を立ち上げて、パン屋事業をはじめた。スタッフを何カ月かパンづくりの実習に出してみたのだけれど、うまくパンをつくることができない。なんとかできないか”ということでした。パン職人には季節を通して生地の状態を見極める知識やノウハウが必要です。だから、何年にもわたる修行が求められるのです。数カ月の修行ではなかなか本物のパン職人になることはできません。これまで学んできたパン屋の経験が活かせる。ぼくには、願ったり叶ったりのお誘いだったのです。パン職人の経験と福祉の道が自分の中でひとつになる……。ぼくにとって、これはまさに、時を超えてやってきた“奇跡”に違いありませんでした。

編集部:夢がかなって、よかったですね。
松田:いや、実際は、ほんとうに大変だったんですよ。最初、「はぁとらんど浅香」での仕事をすごく甘く見ていたんですね。実際、障がいのある人とパンをつくるということは、とても神経を使うことなんです。火傷などの怪我をさせてはいけませんし、できあがったパンは、いわゆる市販のパンと競合するわけですから、気を抜けないのです。“果たして、続けていけるのか!?……”ここに来て3カ月目に自信喪失状態に陥りました。
「はぁとらんど浅香」に来る前の6年ほどは、まったくパンづくりに携わっていませんでした。かつては、“一生パン屋に戻ることはないだろう”と思い、これまでのレシピもすべて捨てていたので、ほんとうに焦りました。このブランクを埋めるために、知り合いのパン屋さんに“一からレシピを教えてください”と頭を下げて回るところからはじめました。それ以来、そんな日々の苦難に“ムリやなぁ”と思いながらも、振り返るともう6年も経ってしまいました(笑)。

「はぁとらんど浅香」のパン工房では、おいしそうなパンが次々と焼きあがってきます。

自分で自分自身を追いこんでいく。

工房で厳しくも温かくメンバーさんに指導する松田さん。

編集部:「はぁとらんど浅香」では、どんなことをモットーにして活動されていますか。
松田:今、パン事業である「手づくりパン工房 プチラパン」には、7人のメンバーさんがいますが、常に“自分自身、適切なアドバイスができているか”ということに注意しています。パンはあくまでもお客様に買っていただく商品です。ときには、メンバーさんに対して厳しいことを言うこともあります。それをウヤムヤにして中途半端なアドバイスで済ませると後に引くことがあります。結局、悪影響が出るのです。逆に、適切なアドバイスができていると、メンバーさんには“プチラパンでの自分の役割”が自覚できるようになります。自分は必要とされているということがわかると、責任感が生まれてきます。そして、仕事の質も高まるのです。
また、“メンバーさんに対して心を傷つけるようなことを不用意に言っていないか”ということにも気をつけています。ポロっと言ってしまった不用意な一言をずっと持ち続けてしまう人もいます。安易な言葉によって心が傷つくのですね。そんなことが起こらないように、言葉には細心の注意を払っています。
あと、人間関係にも心を留めています。集団生活で一番大切なのは人間関係です。メンバーさんの間に入ってフォローしたり、つないだり、いいところを伸ばしていったり……。円滑な関係づくりができるように、いろいろ工夫しています。
それと、“気を抜かない”ことも心がけています。こちらが気を抜くと、必ず、何らかの失敗となって戻ってきます。うちのメンバーさんは、みんな真剣にパンづくりに取り組んでいます。だから、失敗するとほんとうにとことん落ち込むんです。彼らを落ち込ませないためにも、気を抜かず、気を張って、気を配って、いい商品ができるよう指導する。そのために、“自分で自分自身を追いこんでいく”。それが、ぼくのモットーです。でも、なかなか理想のようにはできず、日々反省を繰り返しています。

編集部:いまの仕事にどんなやりがいを感じていらっしゃいますか。
松田:メンバーさんの成長する姿を見るとやりがいを感じますね。たとえば、根気強くあきらめないでパンの成形の指導をして、できるようになったとき。あるいは、販売で「いらっしゃいませ」が言えなかったメンバーさんが言えるようになったとき。こんなときは、ほんとうに喜びを感じます。あと、メンバーの就職が決まったときにもやりがいを感じますね。先日も、プチラパンのメンバーがパソコン関係の仕事に就いたんです。パンづくりとは違う職種ですが、メンバーさん同士でもまれる中で成長していった結果、就職できたのだと思うと、ほんとうにうれしい思いでいっぱいになります。

夢は、就職先としてのパン工房づくり。

いつまでも居続けられるようなパン工房にしたいものです。

編集部:これからの松田さんの夢をお聞かせ願えますか。
松田:「はぁとらんど浅香」のプチラパンで、何かをつくりあげ、人間関係の中でもまれながら成長し、違う職種のところに就職するのも大切なことだと思います。でも、パンづくりやパン販売が楽しい、売りきれるのがうれしい、売れ残りが出ると悲しい……といった気持ちをふくらませてあげて、いつまでもここに居られるような場づくりができないものか、とも思っています。自立した生活を送るためには、職を得て給料を確保すること、住むところを得ることが大切です。そのためにも、法律的な問題はあるのですが、工賃ではなく給料としてメンバーさんにお金が渡せるようなシステムづくりに挑戦できないものかと思うのです。それには、まず売上をアップさせなければなりません。
現在、つくっているパンは曜日限定や季節限定を含めて30種類ほど。一日平均で150個から200個のパンを焼いています。多いときには500個くらい焼くこともあります。週に3回は午前3時から工房に来て、パン焼きをしています。なぜ、こんなことをしているのかというと、たくさんパンを焼いて、販売先を増やして、売上を増やしたいからなのです。その先には、“就職先としてのパン工房”があると考えています。

編集部:おおきな夢ですね。
松田:バターや小麦粉などの原材料費のアップやパン屋の増加など、プチラパンを取り巻く環境は厳しさが増しています。ので、これからも悪戦苦闘の日々が続くかもしれませんが、“ここに来るまでのすべての出来事に何らかの意味があった”と思えるからこそ、決してあきらめないで続けていこうと決意しています。そうすれば、必ずいろんな良いことが、これからも“つながっていく”と信じているからです。ここのみんなは“おいしい”という言葉がほしくて、がんばっています。その気持ちに応えられるように、ぼくはからだを壊さないように気をつけながら、毎日をていねいに生きていきたいと考えています。

今日も“おいしい”を届けようとがんばるプチラパンのスタッフ&メンバーさん。

-編集後記-

取材の途中、松田さんの携帯電話が鳴りました。取り出された携帯電話には、黒地に鮮明に某有名ロック歌手のロゴのデコレーションがありました。「娘がつくってくれたんです」と、松田さんは照れながら話してくれました。年に一度、自分へのご褒美として、彼のコンサートに出かけるそうです。どことなくかわいい49歳のおじさんでした。
年齢や性別、障がいのあるなしに関わらず、相手と真剣に向き合い、等身大でぶつかっていらっしゃる松田さんの言葉一つひとつには、熱いくらいの体温が感じられ、すごい説得力があり、取材陣はとにかくうなずき続けていました。新しいことをはじめると人間は成長する。松田さんはそうもおっしゃっていました。大きな企業の社員という立場を辞し、パン職人の道を選び、また、畑違いの福祉の道を選択する……常に新しいことをはじめて成長されてきた松田さん。不思議なもので、続けていくとパン職人と福祉の道はひとつで結ばれました。あきらめずに続けていたら、かならず“道はつながる”。彼の言葉には、ほんとうに説得力がありました。熱い感動に包んでいただいた1時間でした。ありがとうございました。
松田 規男
-プロフィール-
松田 規男(まつだ のりお)
社会福祉法人あさか会の障がい福祉サービス事業所「はぁとらんど浅香」の手づくりパン工房プチラパンでパン職人を務める。1962年、大阪生まれ。長吉高校を卒業し、大手飲料メーカーに勤務。有名パンチェーン店に転職し、パン職人に。途中、ホームレス支援事業の臨時職員や老人向けマンションのスタッフとして福祉の仕事に携わる。2006年より現職。妻と二人暮らし。得意なパンは、応援してくれている妻と嫁に行った二人の娘が今も大好きなメロンパン。
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