1. ホーム
  2. オリエンテーリング競技日本代表 木島英登さん インタビュー

オリエンテーリング競技日本代表 木島英登さん インタビュー

“モットーは、屈託のないチャレンジ精神です”オリエンテーリング競技日本代表 木島英登さんインタビュー

1993年のアメリカ旅行以来、18年間に110か国を巡って来られた“きーじー”こと木島英登さん。そのアクティブな行動力とチャレンジ精神は、「車イスだから……」と旅行をあきらめていた人たちに大きな勇気を与えています。 “空飛ぶ車イス”という愛称もお持ちの木島さんの豊かな旅の経験と海外情報を、今回はたっぷりお伺いしました。

障がいのあるないにかかわらず、多くの人に旅を楽しんでほしい。

旅好きが高じて、日本代表選手に。

雄大なアルプスをバックに笑顔のピースサイン。

編集部:先日は、オリエンテーリング競技の日本代表選手としてフランスに行ってらっしゃったんですね。
木島:そうなんです。フランスのアルプスの麓にあるシャンベリーという町で4日間にわたって大会が開催されました。世界の約30か国から100人ほどの選手が集まって競技を行います。日本からは障がいのある3名を含む6名が参加しました。オリエンテーリングというと、森の中を歩き回って、指定のポイントのスタンプを押してくるというイメージがあると思いますが、ぼくらが行っているトレイルオリエンテーリングというのは、スタンプを集めるのではなく、出された問題の解答を見つけるために森の中を歩きます。正解を得るためには平面的な地図を3D化して見るような想像力や問題を解く分析力なんかも求められるのです。結局、団体戦では、18チーム中6位の成績を収めることができました。

編集部:かなりマイナーな競技のようですが。はじめられたきっかけは?
木島:9年前にイギリス人の友人の結婚式に出席したんですが、そのときに会場まで自動車に乗せてもらった人が、世界トレイルオリエンテーリング協会の会長だったんです。「ぜひ、日本でもこの競技を普及させてください」といわれて、帰国後、体験してみたら、とても楽しくて……。以来、ハマっています。世界大会は毎年開催されていて、もう8年連続で参加しています。今回も、美しい湖、水、おいしいチーズ、生ハム、白ワインを満喫してきました。ぼくの中では、オリエンテーリングは、ライフワークでもある旅行の延長線上にある楽しみのひとつですね。

アクシデントは、高校3年生の春に起こった。

編集部:車イスが必要になったきっかけは何だったんですか?
木島:それは、高校3年生の春のことでした。ぼくはラグビー部に所属していて、その日は春の大会の二回戦の前でした。正午前、あと少しで練習が終わるというとき、ぼくを中心に密集が形成され、下敷きになってしまいました。「乗るな!」と叫んだけれど無駄でした。第11胸椎を脱臼骨折。背骨が真っ二つに折れ、脊髄を損傷、その日から下半身不随になりました。以来、20年以上、車イスといっしょに暮らしています。

編集部:リハビリは、たいへんだったんじゃないですか?
木島:アクシデントから5か月間は大学病院に入院していましたが、その後、車イスで社会復帰するための本格的な訓練を受けるべく大きなリハビリセンターへ転院しました。日本で一番厳しいリハビリセンターといわれている施設。何でも自分でできるように、を目標に訓練を行います。入所初日に「目標は歩くことです」とあいさつをしたら、みんなから哄笑されてしまいました。無理かもしれないけれど、可能性が0%じゃなかったら夢を見てもいいのではないか。ぼくは、そう思っていたので、とても悲しい気分になりました。でも、その悲しみが逆に励みになり、一所懸命にリハビリに打ち込むことができました。退所した半年後には、車イスの操作をはじめ、着替えやトイレも自分でできるようになっていました。自動車の運転免許も取りました。こうして社会復帰への準備は着々と進んでいきました。高校には1年の休学を経て復学。常に自分を肯定する超ポジティブシンキングの性格が、いい結果へと導いてくれたのかもしれませんね。

超ポジティブシンキングが、結果をいい方向に導く。

旅行に目覚めたのは、小学校3年生。

編集部:いつごろから旅に魅力を感じるようになったのですか。
木島:忘れもしない小学校3年生のことです。担任の先生が産休を取られて、25歳くらいのピンチヒッターの若い先生がやって来ました。日焼けしたスポーティな姿がやたらカッコよかったのをよく覚えています。彼は、池田から豊中までロードサイクルで通勤していて、よく「この間の休みは丹波篠山までサイクリングしてきた」とか「伊勢神宮まで行って来た」とかいって、楽しい話を聞かせてくれました。その話がぼくの旅心に火をつけたのです。よく校区外までサイクリングに出かけました。違う校区に行くだけで、小学生には、冒険に出るワクワク感でいっぱいです。知らない町にいるという緊張感にドキドキしました。道に迷って日が暮れて、泣きそうになったこともありました。必死に帰り道を探して、やっと我が家に辿りつけたときの喜び……。小学生にして、ぼくは旅に目覚めてしまったのです。中学1年生になって、自転車で淡路島を一周しました。そして、中学校の卒業旅行は、友人4人で自転車四国一周旅行をしました。きっと車イスが必要になるとかならないとかに関係なく、ぼくの旅好きは変らなかったと思います。

旅行での貴重な体験は人生の財産。

いっしょにハイキングを楽しんだカリフォルニアの語学学校のクラスメイトたち。

編集部:これまでの旅行の中で、特に印象に残っているものってありますか。
木島:やはり、初めての海外旅行だったアメリカ・カリフォルニアへのホームステイですね。ある日、通っていた語学学校で「明日ハイキングをしますが、参加する人は手を挙げてください」と先生が尋ねました。ぼくは、勇気を出して「車イスだけど、参加できますか」と質問しました。すると、先生は「あなたは行きたいの、行きたくないの、どっち?」、ぼくは「行きたいです」と答えると、「なら、行けばいいじゃない」と返されました。ぼくは、このとき、大きなショックを感じました。日本では「設備がないからダメ」「前例がない」と行動する機会すら与えられなかったことが多かったのですが、アメリカでは、「出来る」「出来ない」ではなく「したい」「したくない」という意志を大切にする。「したい」のなら、その方法を考えればいい……。このやりとりの中で、ぼくは自分に自信が持てるようになりました。誰もが「したいこと」に挑戦していいのだと。車イスのぼくが参加するので、簡単なハイキングコースに変更になっていたのかもしれません。とはいえ、でこぼこ、段差、傾斜がいっぱいの山道です。崖に落ちそうになりながらも、クラスメイトが担いでくれて、無事に丘の上にたどり着き、素晴らしい景色を眺めることができました。このハイキングがぼくの人生を大きく変えてくれた、とこの経験に感謝しています。

編集部:ほかにもさまざまな貴重な体験をされたと聞いていますが……。
木島:2008年の訪問90か国目のニュージーランド旅行では、バンジージャンプをしました。もともとバンジージャンプは、バヌアツ共和国の成人を祝う儀式でした。これを世界で最初に観光アトラクションにしたのがカワラク橋。いわば由緒正しきバンジージャンプの聖地なのです。車イスだから、と断られるかもしれないと思いながらダメもとで申し込むと、あっさりOKが出ました。さすが、障がい者を特別扱いしない国です(この国で、まずトイレに困ることはありません。どこにでも車イスで入れる大きなトイレがあります)。ぼくは極度の緊張感の中、全身ハーネスを装着して15階建てのビルの高さに相当する43メートルの高さから谷底へ向けてジャンプしました。そのときの快感……。以前、車イスを理由に断られたラスベガスでのスカイダイビングの雪辱を果たすことができました。
2005年の61か国目に訪れたネパールでは、プロペラ付きグライダーでの滑空を体験しました。高度7000メートル級のアンナプルナ連峰やマチャプチャレなど神々しい山々が目の前に迫り、神様になったような気分を味わうことができました。
ぼくの旅のスタイルは体験重視。とにかくリアルな経験知を得たいので、新しい国に行くのがなによりの楽しみです。だから、何度も同じ場所で長時間ゆったりと過ごすようなリゾート型の旅はしません。初体験の刺激が快感なのです。
世界各国で、いろんな「おいしい料理」に出会うのも旅行の楽しみのひとつですね。ベルギーのブリュッセルで食べたムール貝の味は忘れることができません。周りのテーブルを見まわしながら同じものを注文(旅先でご当地の美味に出会う有効な方法のひとつです!)して、出てきたのが大きな鍋に入れられたムール貝(なんと60個も入っていました!)のワイン煮でした。これが、また絶品の味。スープがほんとうにおいしいのです。こんな幸せな出会いがいっぱいあるのが旅の魅力ですね。

左より・ニュージーランドでのバンジージャンプ前の緊張の顔、ネパールでのグライダー滑空で操縦体験、ベルギーでムール貝にご満悦のきーじー

編集部:旅行に出かけて辛い経験をされたことはありますか。
木島:楽しいことがほとんどなので、あまり辛い経験をしたことはないのですが。ただ、一度、死にかけたことがあります。2007年の72か国目の訪問国ボリビアでの出来事なのですが。チリから純白の美しい景色で有名なウユニ塩湖を経てボリビアに抜けるツアーに参加して、標高4400メートルにある温泉に入ったとき、調子にのって泳いでしまったのです。どうやらお湯を飲んでしまったらしく菌が体内に侵入し、高山病とも相まって体調が悪化。クライマックスのウユニ塩湖に着くころには、意識は混濁していました。夜行列車とバスを乗り継ぎ、なんとか首都ラパスに辿り着いたときには、とうとう幻想を見て路上でダウン。親切な警察官に助けられて9日間も入院していました。助けられるのがもう少し遅かったら取り返しのつかないことになっていたそうです。他には、2003年の51番目の訪問国である南アフリカで麻薬の密売人に間違われたこともありました。ぼくは海外でよくレンタカーを借りて移動するのですが、南アフリカでも車で移動していました。その日は、道沿いの空き地に止めた車の中で泊っていたのですが、近所の人たちが「不審な車が止まっている」と警察に通報したようです。眠っていたら急にピストルを突き付けられてホールドアップ。事情を説明してことなきを得ましたが、まったくドキドキハラハラの貴重な体験でした。

左より・調子に乗って泳いだ標高4400メートルの温泉、白い世界ウユニ湖では意識混濁、首都ラパスではこのありさま

自分の意志で決められる世の中が理想。

編集部:ところで、現在の福祉に関して思われていることはありますか。
木島:いまでは少なくなりましたが、少し前まで「車イスは不幸だ」という決めつけがあったように感じていました。ぼくがリハビリセンターを退所して高校に復学したときは、私服に茶髪、スポーツカーを運転して登校する……ということをしていました。いまから考えると、ぼくは車イスになった自分の弱みを見せないように強がっていたようです。自分自身で不幸だと思っていたのでしょうね。だから、実際よりも自分を大きく見せようとしていた。精一杯背伸びしていたのです。しかし、このツッパリがぼくにとってはよい結果を導いてくれたのかもしれません。ある意味において福祉の世界は「与えてもらえる」世界です。だから、ときに「保護されているのに欲求するな」「介護される身なのだからもっと謙虚になれ」ということが暗黙のうちに求められることがあります。「自分で決めることがよくないこと」とされてしまっていることもあると聞きます。自らの意志を放棄しなさい、という声を聞くこともあります。でも、一般的な世界では自ら求めないと何も得られません。自分で行動しなければ、何もはじまらないのです。ツッパることで、ぼくは自然と自分の意志というものを大切にすることができていたのかもしれません。いまでは、すっかり素直じゃない若気の至りのツッパリをすることはなくなりましたが(笑)。

「したい・したくない」という自分の意志を大切にしたい。

編集部:確かに世の中にはいろいろな「決めつけ」がありますね。
木島:たいてい「前例がない」とか「対応する設備がない」という理由がつくのですが、そんな理由で、こちらの意志を聞くこともなく、勝手に「ダメ」といわれてしまうことには、とても憤りを感じます。前例がなければ、ぼくが前例になります。対応する設備がないのなら、ぼくの方から対応できるように努力します。「出来る・出来ない」ではなく「したい・したくない」という意志を大切にしてほしいのです。これはあくまでも私見ですが、「車イスも、背が高いとか、足が長いとか、といったことと同じで、人間の特徴のひとつなんじゃないか」と思うのです。外国に行くとよく感じるのですが、車イスかどうかよりも人種、宗教、貧富、他の違いが大きい場合があります。そのような価値観のもとでは、「出来る・出来ない」よりも「したい・したくない」ということがずっと大きな意味を持ちます。日本では異端児と呼ばれてしまうのかもしれませんが、ぼくは「決めつけ」を取り除いて、「したい・したくない」を重視するような社会にしたいと思っています。

アメリカで体験したショックをアジアに広めたい。

編集部:きーじーの未来への夢をお聞かせ願えますか。
木島:前にも述べたように、ぼくはカリフォルニアに行って人生が変わりました。みんな、自分のしたいことに積極的にチャレンジすればいいのだ、ということを学ぶことができました。以来、「日本も変ればいいな」「日本が変るお手伝いができないものか」と考えて、行動してきました。いろんなところに出かけて、「車イスが必要になっても独りで海外旅行ができるんですよ」「人は誰でも慣れと度胸でどこにでも行けるんですよ」ということを伝えてきました。それらの経験や情報を書籍にして出版することもしています。そんな中、車イスで外出する人が増えたり、そんな人たちに対応した施設が次々現れたり、バリアフリー旅行が注目を集めるなど、日本もよい方向に進んできています。
しかし、広くアジアの状況を見ると、まだまだ発展途上の状態です。ぼくは、ぼくがカリフォルニアで感じたショックをアジアに広げたいと考えています。日本を訪れる外国の方に、さまざまな日本のバリアフリー環境を紹介して、そのノウハウや情報を自国に持ち帰っていただいて、広めていただく……そんな活動のお手伝いがしたいのです。
ぼくは神戸大学の発達科学部の第一期生ですが、ここでさまざまな事象を正面からだけではなく「ななめ方向や裏側から見る」ことの大切さを学びました。そして、1993年から18年ほどの間に110か国の国々を旅行して、さまざまな情報を収集し、経験を積み重ねてきました。これからは、これまでぼくが得てきた情報や経験、ネットワークを活かして、バリアフリー社会の広がりをサポートしていきたいと考えているのです。いつも「きーじーはおかしなことを考えているね」といわれますが、これからも、いい意味での「常識破り」に徹していきたいものです。みなさん、ぜひ、ぼくを応援してくださいね。よろしくお願いします(ピースサイン)。

これからもよろしくお願いします(ウィンク)。

-編集後記-

話していて、まったく気負いを感じない。常に自然体。それが、きーじーに関する印象です。しかし、言葉の端々に、細かな表情のひとつひとつに強い意志を感じました。強いけれど柔軟性がある。とてもしなやかな人だなぁと思いました。また、取材をしているうちに、ついつい「あー旅に出たい」という気分でいっぱいになりました。なによりも「旅が大好き」というきーじ―の言葉には、人を旅に誘い出すオーラが込められているのでしょう。楽しい話は尽きることがなく、今回の取材も予定時間を大幅に超えてしましました。ときどき、きーじーが見せるいたずらっ子のような表情に、屈託のない子どものような純粋さを見つけたりもしました。福祉に関しては、歯に衣着せぬ厳しい発言もするきーじー。“空飛ぶ車イス”は、“闘う車イス”でもあるようです。これからも、まっすぐに突き進んでいってほしいと思いました。
木島英登
-プロフィール-
木島 英登(きじま ひでとう)
1973年大阪生まれ。高校3年生のとき、ラグビー部の練習中に下敷きとなり、第11胸椎を脱臼圧迫骨折。脊髄を損傷。以来、車イスの生活に。神戸大学1年の夏、1か月のアメリカホームステイをきっかけに旅にハマる。現在まで18年間で世界110カ国を訪問。そのほとんどが一人旅。7年間の広告会社(株)電通勤務を経て、バリアフリー研究所を設立。講演・執筆・コンサルなどを行う。著書に、「空飛ぶ車イス」「恋する車イス」「車いすの旅人が行く!」がある。2011年、NPO法人 Japan Accessible Tourism Center を設立し、訪日外国人へのバリアフリー旅行情報の提供を開始。国際障害者交流センタービッグ・アイの国際交流アドバイザーも務めている。
印刷用ページを表示する

NTT西日本通信サービスの使命

バックナンバー

*クリックまたは、エンターキーによりメニューが表示されます